菅義偉内閣官房長官とお話しをして感じること。
日本、そして世界を舞台に活躍しておられ、歴代内閣官房長官として最長在位記録を更新中の菅義偉内閣官房長官。実は秋田県湯沢市のいちご農家のご出身。同郷という御縁で可愛がって頂いております。
私が初めて菅官房長官とお会いしたのは「秋田お國自慢」という書籍の発売がきっかけでした。私たちドリームリンクは「利益を地域社会のために使う」という経営理念を掲げて事業に取り組んでおります。この本は、その一環として秋田に縁がある著名人の皆様に、それぞれが思う秋田自慢を「文章」「秋田音頭の変え節として一節」の2つのテーマで自由に書いて頂き、それを1冊の本にまとめたら素晴らしい秋田自慢が完成するのではないかという構想でスタートしました。書いて頂く方には故郷を想う思いでご協力頂きたいという趣旨をご説明し、執筆料は無料、つまりノーギャラでのご協力をお願い致しました。
執筆依頼をしている中で、ある銀行の役員の方から「菅さんにお願いしたのか?」と言われました。菅官房長官が秋田ご出身ということは当然存じ上げておりましたが、お願いするリストには入っておりませんでした。私たちの中で「まさか書いては頂けないだろう」という考えがどこかにあったのです。ハッとしました。弊社の社訓は「出来ない理由を並べるな、出来る方法を執念を持って考えよ、方法が決まったら情熱を持って行動せよ、必ず結果を確認せよ、全てにおいてスピードを持て」というものです。普段スタッフにこれを説いている私が社訓に沿った思考、行動ができていなかったのです。直ちに菅官房長官への連絡を試みました。そして私たちの勝手な予想はあっという間に覆されました。
窓口になって下さった秘書の方はとても真剣に、そして丁寧にお話しを聞いて下さいました。そして菅官房長官にご意思を確認して下さるという運びとなり、速やかに「書いて下さるそうです」というお返事を頂戴することになりました。私は感動しました。銀行の役員の方の「菅さんは故郷である秋田のことをとても大切に思っていらっしゃるので、この企画には喜んで参加して下さると思うよ」との言葉を思い出しました。同時に「選挙区ではない秋田のためにご多忙なお時間をさいてくださいますかね?」と受け答えしをした自分が恥ずかしくなりました。「俺はなんて器の小さな男なのだろうか」といたたまれない思いに駆られました。
時をおかず、菅官房長官から原稿が届きました。そこには秋田を想う思いと、日本を想う思いがたくさん込められておりました。菅官房長官の最初の選挙は大変厳しい選挙だったそうです。相手候補は菅候補が選挙区である横浜出身でないことを掲げネガティブキャンペーンを展開したそうです。菅候補はそれを否定せず堂々と秋田出身であることを掲げて戦いました。すると秋田出身の方々が熱烈に応援をしてくれ、その輪は東北の輪となり、地方出身者の輪となっていったそうです。当時、急激に人口が増えていた横浜は地方出身者が多かったようでネガティブキャンペーンは、たちまち応援キャンペーンとなり菅候補は見事に横浜市議会選で初当選を果たし政治家としての第一歩を踏み出しました。
その後のご活躍は皆様がご存知の通りです。総務大臣在任中に「ふるさと納税」を作られたのも菅官房長官です。すっかり定着したこの納税制度は、好きな自治体に住民税の一部をわずかな自己負担で寄付できる制度です。つまり故郷から離れていても自分の故郷へ住民税の一部を寄付として納めることができ、なおかつその地域の品物を返礼品として頂くこともできる素晴らしい制度なのです。返礼品が流通することは、その地域の宣伝と経済活動に繋がります。更にこの制度の優れているところは「好きな自治体」というところにあると思います。自分の故郷ということでなくてもいいのです。つまり国民が一丸となり、あちこちの地方を応援することができるのです。そして、それは地方を知ることに繋がります。また、東日本大震災や熊本地震のような非常時にはふるさと納税を通して全国から多くの寄付が被災地へ届けられたそうです。菅官房長官は若いころ、アルバイトをして生計をたて大学へ進学された苦労人。秋田という地方から、横浜という都会で選挙に立ちます。そこで多くの地方出身者から応援を頂き政治家になられました。そのようなご経験を持たれるからこそ、当初多くの反対があった中、地方と都会の絆を築き、地方を活性化させる「ふるさと納税」の正しさを訴え、創設ができたのだと思います。そして、その流れが安倍内閣の「地方創生」へと繋がっていっているのだと感じました。
菅官房長官は完成した書籍を私から直接受け取って下さいました。なんと私たちは首相官邸に招かれたのです。ちょうど私の母親が東京にいる日だったので親孝行をしたいと思い「母も連れて行っていいでしょうか?」とお願いをしてみたら二つ返事でご快諾を頂くことができました。少年時代、いわゆる不良であった私は親に迷惑のかけっぱなしでした。社会人となってからは仕事一筋で親孝行などした記憶がありません。母も一緒に首相官邸でお話しをさせて頂けたことで素晴らしい親孝行ができました。そして母にとってとても素晴らしい思い出となりました。感謝しております。そして、これを御縁に菅官房長官は私たちの開店にも駆けつけて下さるようになりました。尋常ではないお忙しさの中でのお心くばりに菅官房長官の人間性を感じます。
寒くて、辛くて、厳しかった秋田の冬での思い出やそこで感じたこと、それらの思い出が菅官房長官のパワーの源となっていることなどを菅官房長官から教えて頂きました。そして、私も同じ環境で育ったのだということが誇りとなり、私のパワーの源となりました。
最後に「秋田お國自慢」において菅義偉内閣官房長官が執筆して下さった中から、秋田を代表する民謡「秋田音頭」の変え節をご披露致したいと思います。
私が初めて菅官房長官とお会いしたのは「秋田お國自慢」という書籍の発売がきっかけでした。私たちドリームリンクは「利益を地域社会のために使う」という経営理念を掲げて事業に取り組んでおります。この本は、その一環として秋田に縁がある著名人の皆様に、それぞれが思う秋田自慢を「文章」「秋田音頭の変え節として一節」の2つのテーマで自由に書いて頂き、それを1冊の本にまとめたら素晴らしい秋田自慢が完成するのではないかという構想でスタートしました。書いて頂く方には故郷を想う思いでご協力頂きたいという趣旨をご説明し、執筆料は無料、つまりノーギャラでのご協力をお願い致しました。
執筆依頼をしている中で、ある銀行の役員の方から「菅さんにお願いしたのか?」と言われました。菅官房長官が秋田ご出身ということは当然存じ上げておりましたが、お願いするリストには入っておりませんでした。私たちの中で「まさか書いては頂けないだろう」という考えがどこかにあったのです。ハッとしました。弊社の社訓は「出来ない理由を並べるな、出来る方法を執念を持って考えよ、方法が決まったら情熱を持って行動せよ、必ず結果を確認せよ、全てにおいてスピードを持て」というものです。普段スタッフにこれを説いている私が社訓に沿った思考、行動ができていなかったのです。直ちに菅官房長官への連絡を試みました。そして私たちの勝手な予想はあっという間に覆されました。
窓口になって下さった秘書の方はとても真剣に、そして丁寧にお話しを聞いて下さいました。そして菅官房長官にご意思を確認して下さるという運びとなり、速やかに「書いて下さるそうです」というお返事を頂戴することになりました。私は感動しました。銀行の役員の方の「菅さんは故郷である秋田のことをとても大切に思っていらっしゃるので、この企画には喜んで参加して下さると思うよ」との言葉を思い出しました。同時に「選挙区ではない秋田のためにご多忙なお時間をさいてくださいますかね?」と受け答えしをした自分が恥ずかしくなりました。「俺はなんて器の小さな男なのだろうか」といたたまれない思いに駆られました。
時をおかず、菅官房長官から原稿が届きました。そこには秋田を想う思いと、日本を想う思いがたくさん込められておりました。菅官房長官の最初の選挙は大変厳しい選挙だったそうです。相手候補は菅候補が選挙区である横浜出身でないことを掲げネガティブキャンペーンを展開したそうです。菅候補はそれを否定せず堂々と秋田出身であることを掲げて戦いました。すると秋田出身の方々が熱烈に応援をしてくれ、その輪は東北の輪となり、地方出身者の輪となっていったそうです。当時、急激に人口が増えていた横浜は地方出身者が多かったようでネガティブキャンペーンは、たちまち応援キャンペーンとなり菅候補は見事に横浜市議会選で初当選を果たし政治家としての第一歩を踏み出しました。
その後のご活躍は皆様がご存知の通りです。総務大臣在任中に「ふるさと納税」を作られたのも菅官房長官です。すっかり定着したこの納税制度は、好きな自治体に住民税の一部をわずかな自己負担で寄付できる制度です。つまり故郷から離れていても自分の故郷へ住民税の一部を寄付として納めることができ、なおかつその地域の品物を返礼品として頂くこともできる素晴らしい制度なのです。返礼品が流通することは、その地域の宣伝と経済活動に繋がります。更にこの制度の優れているところは「好きな自治体」というところにあると思います。自分の故郷ということでなくてもいいのです。つまり国民が一丸となり、あちこちの地方を応援することができるのです。そして、それは地方を知ることに繋がります。また、東日本大震災や熊本地震のような非常時にはふるさと納税を通して全国から多くの寄付が被災地へ届けられたそうです。菅官房長官は若いころ、アルバイトをして生計をたて大学へ進学された苦労人。秋田という地方から、横浜という都会で選挙に立ちます。そこで多くの地方出身者から応援を頂き政治家になられました。そのようなご経験を持たれるからこそ、当初多くの反対があった中、地方と都会の絆を築き、地方を活性化させる「ふるさと納税」の正しさを訴え、創設ができたのだと思います。そして、その流れが安倍内閣の「地方創生」へと繋がっていっているのだと感じました。
菅官房長官は完成した書籍を私から直接受け取って下さいました。なんと私たちは首相官邸に招かれたのです。ちょうど私の母親が東京にいる日だったので親孝行をしたいと思い「母も連れて行っていいでしょうか?」とお願いをしてみたら二つ返事でご快諾を頂くことができました。少年時代、いわゆる不良であった私は親に迷惑のかけっぱなしでした。社会人となってからは仕事一筋で親孝行などした記憶がありません。母も一緒に首相官邸でお話しをさせて頂けたことで素晴らしい親孝行ができました。そして母にとってとても素晴らしい思い出となりました。感謝しております。そして、これを御縁に菅官房長官は私たちの開店にも駆けつけて下さるようになりました。尋常ではないお忙しさの中でのお心くばりに菅官房長官の人間性を感じます。
寒くて、辛くて、厳しかった秋田の冬での思い出やそこで感じたこと、それらの思い出が菅官房長官のパワーの源となっていることなどを菅官房長官から教えて頂きました。そして、私も同じ環境で育ったのだということが誇りとなり、私のパワーの源となりました。
最後に「秋田お國自慢」において菅義偉内閣官房長官が執筆して下さった中から、秋田を代表する民謡「秋田音頭」の変え節をご披露致したいと思います。
故郷離れてもいつも心に強い郷土愛
秋田とわかれば「んだな」と「んだ」ですぐに通じ合う
(♪アー、ソレ、ソレ!)
内閣官房長官 菅義偉
菅義偉(すがよしひで)内閣官房長官プロフィール
・昭和23年 秋田県生まれ
・昭和48年 法政大学 法学部卒
・昭和50年 衆議院議員秘書
・昭和59年 通産大臣秘書官
・昭和62年 横浜市議会議員
・平成8年 衆議院議員
・平成9年 自民党商工・中小企業関係団体副委員長
・平成12年 自民党総務
・平成14年 国土交通大臣政務官
・平成15年 経済産業大臣政務官
・平成17年 総務副大臣
・平成18年 総務大臣
・平成19年 自民党選挙対策総局長
・平成23年 自民党組織運動本部長
・平成24年 内閣官房長官