佐竹敬久秋田県知事とお話しをして感じること。

 2009年第17代秋田県知事に就任されて以来、秋田県のリーダーとしてご活躍中の佐竹敬久知事。佐竹知事との様々な出来事の中で、私にとって印象的なのものの一つが「秋田牛」に賭ける思い入れです。それは会食をしている中での会話でした。「村上君、綺麗な海があり、広大な山があり、澄んだ川があり、多くの草原があり、広い田んぼがあり、四季がはっきりとしている秋田は食の宝庫だ。それらの食材は特産となり全国へ出荷され日本の食文化を支えている。そして数々の郷土料理は県外からお見えになった方々を魅了する名物となっている。しかし、残念なことが一つある。それはフランス料理のコースで言う「メイン料理」が我が秋田県には乏しいということだ」と言うものでした。確かにコースでいう前菜~デザートまで秋田県には全ての特産が揃っております。メインとなる肉や魚もたくさんあるのですが知名度という点では他県に後れをとっているというお考えです。秋田県の県魚であるハタハタは知名度こそあれ、メインの魚としては小さすぎる、秋田のブランド牛は実に素晴らしい、しかしあまりに生産量が少なくその素晴らしさを伝えることなく、ほとんど地元消費されているという事実でした。なるほど男鹿の鯛、仁賀保の鱈、八森の烏賊、そして数ある銘柄豚も全国に通用する強者ですが知名度という点では他県に後れをとっているのかもしれません。唯一それに相応しい知名度と出荷量があるのは比内地鶏くらいなのです。「確かにその通りだ・・・。」外食産業に携わって30数年になりますが、そのような視点で秋田の食材を見た事はありませんでした。佐竹知事はそれらの食材の活性化を漏れなくお考えですが、私にはその中で秋田のブランド牛について詳しくお話しをして下さいました。「お隣の山形県、岩手県、宮城県には米沢牛、前沢牛、仙台牛という全国的に知名度があるブランド牛がある。秋田には25のブランド牛があるが生産量が少なく、ほとんどが地元消費され、この素晴らしい肉質を持った秋田県の宝物が日の目を見ていない。これをなんとかしなければならない」という事でした。知事はそれらを集結して26番目のブランド牛として「秋田牛」と名付けその普及をお考えでした。

 「知事、その為には秋田牛を紹介する店が必要ですね。当社でそれを考えてみます」私は直ぐに決断をしました。弊社の経営方針として「地域社会のために利益を使う」という理念があります。秋田牛の普及活動へ貢献できるとすれば、私たちを育ててくれている秋田県への恩返しが少しでもできることになります。秋田牛を出す方法として鉄板焼を考えた私は社内の人間に号令をかけニューヨークへ飛びました。鉄板焼=NYというイメージを持っていたのです。しかしどこに行ってもNYのステーキは皿の上にのっているものばかりでした。実は鉄板焼は日本の文化だったのです。なるほど、カウンターをはさんでお客様と職人が向かい合い、長い時間をかけてその手元をお見せしながら焼き上げる鉄板焼のスタイルは寿司や天ぷらと同じです。

 鉄板焼の発祥は1945年の神戸と言われております。その後、日本橋にある紅花さんが1964年に"Teppanyaki" の名前にてNYへ出店。それが大当たりしました。それが世界へ鉄板焼=NYと誤解を与えるきっかけとなっているのです。

 「これは大変だ!」このままでは鉄板焼はmade in USAで定着してしまう。オリンピック招致が決まりました。世界中から東京へ人々が集まります。このチャンスを逃してはいけない。お店は東京の中心である銀座へ造る事にしました。内装には秋田の古民家から譲り受けた古材をふんだんに使い日本家屋の素晴らしさを表現しました。そして日本の伝統的な焼物、漆器、人間国宝の作品などを設えました。秋田牛の普及のみに留まらず「日本文化」としての普及という目的を持ったこのお店には現在、世界各国から様々な方々がお出で下さっております。

 佐竹知事は江戸時代、秋田藩の角館統治を行っていた秋田北家の第21代御当主に当ります。明治時代は男爵に叙せられた名門です。世が変わった現在もその血統は秋田県民に支持され現在の地位に着かれております。明るく、気さくで、庶民的な佐竹知事ですが、仕事には的確な洞察力を持ち、厳しい目線で臨んでおられます。それは、誰よりも秋田県を思い、愛しているからこそだと感じます。秋田藩の藩薬として創製され、今や全国的な生薬となった秋田県発祥の龍角散。そのCMへ秋田のお殿様として出演され佐竹知事の知名度は全国区となりました。そして、これからも秋田県政のために様々なご尽力をなされます。江戸時代から続くその郷土愛はこれからも続くのです。

 最後にもう一つ。「秋田には清酒があり、ビールも焼酎もワインもある。でも村上君、ウイスキーがないのだよ。何とかしなければ・・・」というお話しをして下さいました。「よし、いつかウイスキーを秋田県のために作らなくては!」私たちの挑戦は続いていきます。

佐竹敬久秋田県知事

佐竹敬久(さたけのりひさ)秋田県知事プロフィール

・昭和22年11月15日 秋田県仙北市角館生まれ
・昭和41年3月 秋田県立角館高等学校を卒業
・昭和46年3月 東北大学工学部精密工業科を卒業
・昭和47年3月 秋田県庁入庁
        この間主に商工行政・地方行政関係を担当
        工業振興課長、地方課長、総務部次長などを歴任
・平成13年7月 秋田市長選へ出馬し初当選
・平成15年10月 政府税制調査会委員就任
・平成17年7月 秋田市長に再選、2期目の市政運営スタート
・平成19年6月 全国市長会会長就任
・平成19年7月 地方制度調査会委員就任
・平成21年4月 秋田県知事に初当選
・平成25年1月 全国知事会文教環境常任委員長就任
・平成25年4月 秋田県知事に無投票で再選、2期目の県政運営スタート
・平成28年7月 全国知事会文教環境常任委員長再任
・平成29年4月秋田県知事に再選、3期目の県政運営スタート

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