秋田県医師会会長小玉弘之先生とお話をして感じること。

秋田県医師会会長小玉弘之先生  秋田県医師会会長としてコロナ禍を含め長きに渡り、秋田県の医療を支え、さらに日本医師会常任理事として、国民の健康を守っておられる小玉弘之先生。今回は小玉先生と話して感じる事を記したいと思います。
 
 世界中を未曽有の事態に巻き込んだコロナウィルス。人類が経験したことのないこの事態において、その対応は国によって大きく異なりました。その中で日本はどうだったのでしょうか?日本でのコロナ禍を経済の面で振り返ってみますと、他国とは比較にならない経済的打撃を長期間に渡り受けた産業は、「アルコール提供」と「憩いの場」を主な生業とする居酒屋、クラブなどの夜の飲食店だったと思います。「コロナのツボが見えた、会話とアルコールを伴う会食だ」。この言葉はやがて「夜の街」と化し、全国の夜の街から一斉に人が消え、全国の飲食店には閑古鳥が鳴くようになりました。
 
 やがて日本は「営業時間短縮要請」というものを作り、その発令を47都道府県の首長に委ねました。要請が発令された地域の飲食店には要請に従うことを条件に「営業時間短縮協力金」が支給されました。その金額はコロナ前の営業実績を基に算出されるもので、家賃や人件費、その他の経費を支払っても資金が残るまさしく救済制度でした。一方、発令がなされない地域は、営業時間は自由です、しかし、当時は、夜の街に人が歩いていない中でお店を開けても誰も入って来ない状況、コロナ前は予約に数年待ちであった人気店でさえ、予約のキャンセルが相次ぎ空席だらけとなり、当日予約なしで入れる状況となっていたのです。売上もなく、協力金もない地域の飲食店は、家賃や人件費に充てる資金などが確保できない環境に追いやられてしまうのでした。
 
 要請が発令された地域は人口、感染者数ともに多い都会の地域でした。一方、人口も感染者も少ない田舎で発令されることはほとんどありませんでした。北海道から鹿児島まで店舗がある弊社は直ぐに「営業時間短縮要請」が発令された、いわば資金に困らない地域と、発令されない、いわばどんどん資金がなくなっていく地域を日本地図で色分けしました。地図は上述の通り、都会が発令の色、地方は未発令の色となりました。現実的な表現をすると「都会にある飲食店は天国」「地方にある飲食店は地獄」という色分けとなったのでした。 
 
 そんな中、待ちに待ったワクチンが開発され、世界中でワクチン争奪戦が始まりました。菅総理は直ちにワクチン開発会社があるアメリカへ飛び直談判に成功、日本に大量のワクチンが入ってくることになりました。それを受け、1日でも早く1人でも多く、ワクチン接種をすすめようと、新型コロナワクチン接種推進担当大臣であった河野太郎大臣は2021年5月1日「接種率を高める為に自治体が行う「地域接種」だけではなく、企業などの民間団体が自ら行う事が出来る「職域接種」を併用すると発表しました。実は、この発表を聞いて窮地に追いやられていた地方の飲食店の多くが大きな希望を見いだしていたのです。何故ならワクチン接種は高齢者、医療従事者からなど接種の順番があり、飲食店で働いている若者への接種はいつになるかわからないという状況でしたので、自分らの意思で出来る職域接種を行えば「当店スタッフは全員新型コロナウイルスワクチン接種を済ませております。安心してご来店下さい。」という告知を打つことが出来るからです。
 
 しかし、発表の翌日、河野大臣は「ワクチンの無駄をなくすために職域接種は1,000人を最低単位とする」と発表しました。同一地域で1,000人を抱えている飲食企業は皆無に等しい状態です。まして地方にはほぼないと言って良いでしょう。多くの地方の飲食店は「家族経営」「経営者に数人の社員とアルバイト」という小さな組織がほとんどで、多少のチェーン店であっても1,000人のスタッフには及びません。苦しんでいる地方の飲食店の喜びは一夜にして崩れ去ったのでした。
 
 「出来ない理由を並べるな!出来る方法を執念をもって考えよ!」。私たちはドリームリンクの社訓に従い実現できる方法を模索しました。すると、実現の為には3つの高いハードルが立ちふさがっておりました。一つ目は「1,000人へワクチンを打てるだけの打ち手の確保」。二つ目が「1,000人が入れる会場の確保」。そして3つ目となる最も高いハードルは「どうやって1,000人を集めるか?」というものでした。私は公私にわたり親しくお付き合いをさせて頂いている秋田県医師会会長の小玉弘之先生へ相談をしました。その日は医師会の理事会があり部外者の私は理事会終了後の会食に参加するようにお声がけを頂き、理事の方4人と私と女房の6人で会食は開催されました。頃合いを見て私から「日本では都会と地方で不平等な格差が起こっていること」「その中での地方の小さな飲食店が困っていること」など、様々な地方での課題、弱者への救済などをお話し、その方々のためにも「小さな飲食店を1軒1軒集めて1,000人の職域接種を行いたい」との思いなどを伝えました。小玉会長はじっと私の目を見て黙って私の話を聞いて下さりました。
 
 「心配するな、何とかする」。弱り果てていた私たち弱小飲食店にとって涙が出る程嬉しく、優しい言葉が小玉会長から返って来ました。その後の小玉会長のご決断は早く、素晴らしいものでした。「打ち手は秋田県医師会がどうにかする。そしてこの活動を広げるためにも秋田県看護師会、秋田県薬剤師会へも協力を呼びかけましょう」。第一のハードルは一瞬で解決されました。しかも打ち手の確保だけではなく、秋田県の医療業界が大きく動くイベントとなったのです。最大のハードルであった3つ目の課題「どうやって1,000人を集めるか?」という問題も一瞬で解決してくれました。小玉会長は「接種希望者を募る告知は秋田県医師会館で行おう、今の時期に行われる県医師会の記者会見には多くの報道機関が来て下さるだろう」ということでした。なるほど、「小さな飲食店を集めて秋田で1,000人の職域接種を計画」と記事にして下されば広告費もかからずに1日にして県内全域に告知が出来ます。小玉会長は、ほんの数分で多くの県民を救う偉大なご判断と決断をされたのでした。その姿を見ていて、「非常時のリーダーたるもの」というテーマについて私は深く考える事が出来、コロナ禍における経営に大きな影響を受けたのでした。残りのハードルは「1,000人が入れる会場の確保」だけとなりました。私は佐竹敬久秋田県知事、猿田和三副知事、穂積志秋田市長へ電話をして会場手配のご協力をお願いしました。結果、知事、副知事、市長から、「素晴らしい活動だ、好きな公共の会場を使ってくれ」という嬉しいお返事を頂く事ができました。この様な経緯で私たちドリームリンクは3つのハードルをクリアーすることができたのです。
 
 数日後、私は秋田県医師会館で小玉弘之秋田県医師会会長、小泉ひろみ秋田県医師会副会長と3人で記者会見を行いました。会見には秋田県内の全ての報道機関が集ってくれました。そして、当日の全てのテレビ局の夕方のニュース、翌日の全ての新聞社の記事により1,000人を瞬く間に確保することができたのです。後に政府関係の方から聞いた話があります。「飲食組合などの組織ではなく、民間の企業が小さな飲食店をたくさん集めて行った職域接種は全国で秋田県のこの一例だけ」とのことでした。小玉会長がいらしたからこそ実現できた活動でした。
  
 こんな事もありました、2022年初めの頃です。「医療の未来から見える日本の未来、秋田の未来」について多くの方々に考えてもらうためにもテレビ番組にて座談会を行おうと思うがそれに参加してくれないかというものでした。私は出演者を聞いて腰が抜けました。
 
「出演者」
日本医師会名誉会長・第19代日本医師会長 横倉義武氏
秋田県医師会長 小玉弘之氏
秋田県医師会顧問 近藤克幸氏
ドリームリンク代表取締役社長 村上雅彦
「コーディネーター」
フジテレビジョン取締役 解説委員長
「BSフジLIVEプライムニュース」キャスター 反町理氏
 
 誰もが知っている日本を代表する方々の中に医師免許も持っていない中学卒業の私が入っていたのです。小玉先生に聞いたら「医者だけでは話が固くなるから村上さんに入って欲しいのだ」と笑っておっしいました。しかし、色々な方々と話しをしていると、「ワクチン職域接種への協力依頼の時に村上さんが訴えた、小さな飲食店の人たちがコロナ禍で窮地に追いやられているなどの様々な話を会長は覚えておられ、私たち医者が知らない所でまだまだ困っている方々がたくさんいる。その方々へ手を差し伸べるという意味でも村上さんにも参加して頂き、好きなことを発言してもらったら良いと思う」ということだったそうです。座談会は秋田キャッスルホテルにて菅前総理の基調講演から始まり、多くの方の聴衆のもとに開催されました。その様子は「21世紀の医療を守る県民の集い。どうなる?日本!!どうする?秋田!!〜医療の未来からみえる“地方再生”を語る〜」というタイトルで、1時間の及ぶ特別番組として秋田テレビ(フジ系列)にて放映され、広く県民へ問題提言されるのでした。
 
 「今は世界中に「新型コロナウィルス」という目に見ない爆弾が降り注いでいる、いわば世界同時空襲だ。全ての人々が困っている、だから、どんなに困っても我が身だけを考えるのではなく、我が身を守りながら、まわりをよく見て困っている人がいたら手を差し伸べる人間としての生き方と、企業としての経営をしよう」。2020年4月7日第一回目となる緊急事態宣言の発令がなされた直後に、私が社内へ発したメッセージでした。この発信を常に意識したコロナ禍における経営は、「子供食堂の開設」「医療関係者へのお弁当の寄贈」「マスク不足の中で買えない方々への無料配布」「利益を全額寄付する復興支援酒場の開設」「臨時休校に伴う給食中止で売り先をなくした生産者からの食材の買取」「コロナ禍で休業や廃業に追い込まれ解雇となった人々の雇用」「店舗休業中での社員、アルバイトへの生活を守るための給料全額支給(アルバイトはコロナ前のシフト表に基づいて支給)」など、収入が無い中で支出がどんどんかさんでいく厳しいものとなり、コロナがいつまで続くのか予想もできない中で精神的にもきついものでした。小玉会長とは「子供食堂」「復興支援酒場」「コロナ禍で頑張っておられるお医者様への御弁当の配布」「【偉大な先輩たちを知ろう】というテーマメニュー」(小玉会長の母校である秋田高校で弊社が経営している学食で行った偉大な先輩たちが在学中に好きだったメニュー)、などなど本当に多くのお仕事をさせて頂きました。そして、ことある事に大任を仰せつかり沢山の経験と勉強をさせて頂きました。お金がどんどん無くなって行く中で人間として、企業という公人としてのコロナとの戦いは連日連夜続きました。涙が出る程に苦しく、厳しい状況でも小玉会長と活動をしておりますとなぜかそれを忘れておりました。私は、ここでも「リーダーとしての懐の深さ」を勉強させて頂きました。
 
 小玉先生は今も、日本の医療、秋田の医療、そして弱い方々のためへのご活動をされております。そしてこの度長年のご功績が認められ「旭日小授章」を受賞されました。秋田高校学食メニューで「秋田県医師会会長小玉弘之先生が高校生の時に好きだったメニュー」は「ステーキ丼」でした。秋田高校ラグビー部主将としてチームを花園に導き、慶応大学でラグビーに進学されまれますが、「医者になって人を助ける」との信念をお持ちになられ北里大学医学部へ入学、医療界の日本のリーダーとしてご活躍されている小玉先生が高校生の時にお好きだった「ステーキ丼」を食べて、先生へ続く若者がこの国にどんどんと続く事を期待しております。そして、小玉先生とのご縁が、私に、そして会社に、大きく、素晴らしい影響を与えて下さっていることに心より感謝を申し上げます。

小玉弘之 プロフィール

・昭和28年生まれ
・昭和63年 秋田大学医学部整形外科入局
・平成 7年 医療法人生和会専務理事・南秋田整形外科院長
・平成18年 一般社団法人秋田県医師会常任理事(~平成28年6月18日)
・平成28年 一般社団法人秋田県医師会会長(~令和4年6月18日)
・平成30年 公益財団法人日本医師会常任理事(~令和2年6月27日)
・令和 2年 一般社団法人全国有床診療所協議会副会長
・令和 4年 日本医師連盟副委員長
・平成 4年 社会医療法人生和会・社会福祉法人生和会理事長

【最近の受賞歴】

・平成25年 秋田県環境・保健功労者知事表彰
・平成26年 秋田県医師会功労者表彰
・平成29年 厚生労働大臣感謝状(労災保険診療報酬審査委員)
・平成30年 公衆衛生事業功労者に対する厚生労働大臣表彰
・令和 3年 日本臨床整形外科学会 功労賞
・令和 4年 日本整形外科学会 功労賞
・令和 6年 旭日小綬章 受賞

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