飲食に夢と物語を重ねて四半世紀
2025年8月4日に秋田経済新聞様にインタビュー記事を掲載いただきました。
先方の許可を頂き、同じ内容を当ページにてご紹介させていただきます。
制作:秋田経済新聞
競争の激しい外食業界にあって、秋田市に本社を構えながら、四半世紀にわたり発展を続ける会社があります。2000(平成12)年7月創業の「ドリームリンク」(秋田市山王2)。北海道から九州まで25都道府県で、居酒屋やレストランを中心に85店(2025年7月現在)の飲食店を展開しています。
7月に創業25周年を迎えた村上雅彦社長に話を聞きました。
秋田を拠点に四半世紀~飲食店を全国展開
―創業25周年、おめでとうございます。会社のこれまでと事業内容を教えてください
ありがとうございます。当社は2000(平成12)年の創業ですが、外食業界との関わりは、1982(昭和57)年に銀行員だった父と始めたフランチャイズの居酒屋経営がスタートですので、かれこれ43年になります。現在、秋田市内に本社を置きながら、北海道から鹿児島まで41店(2025年7月現在)を展開する「薄利多賣半兵ヱ」などの大衆居酒屋や、秋田駅前の「地酒と焚(た)き火料理 とっぴんぱらりのぷ」(千秋久保田町)などの料理店、そば店、レストランやカフェ、バーなどを営業しています。ホテルや空港、道の駅などへの出店も3店ほどあります。ワインやオリーブオイルの輸入、ハチミツ販売、家具ショップなども経営しています。従業員は、全店合わせて2000人ほどです。
全国に41店を展開する「薄利多賣 半兵ヱ」。写真は「川反四丁目橋店」(秋田市大町5)
―業態も業種も幅広いですね
秋田駅前の「秋田長屋酒場」(中通4)や秋田市の飲食街川反(かわばた)で営業する「秋田おでんと地酒 さけ富」(大町5)、「トリス軒」(中通4)、「Cafe赤居文庫」(中通4)など、24ブランドで飲食店を展開しています。現在、これらをフランチャイズ化して、秋田の食材をメインに使う秋田発の飲食店として全国に展開する準備を進めています。4月、仙台市に1号店をオープンした「駅前酒場 もつ焼き 丸昌(まるしょう)」は、サッポロビール(東京都渋谷区)と提携して取り組んでいますが、4大ビールメーカーの力を借りながら、それぞれのブランドでブラッシュアップを図っています。私たちの業界を見渡すと、これまでは県外資本のチェーンにより、地元のお金が県外に流れ出てしまうことが多かったように思います。しかし、秋田の資源を生かすことで、逆に、地元にお金を集めることができるはずです。当社が得た収益は、秋田に最大限に還元したいと考えています。
「駅前酒場 もつ焼き専門 丸昌」復活 焼失から2年4カ月ぶりに、新たにそばも(仙台市青葉区中央)
あと、「アマニ油」などの食材販売も計画しています。秋田県立金足農業高校と連携し、授業の一環として有機栽培した亜麻の種子が原料です。健康に良いとされている食品ですが、酸化の進みが早いのが難点です。そこで、当社が買い取り、1本から受け付ける受注生産品として、圧搾後、直ちに販売するという酸化を最小限に抑えたシステムです。「世界一身体(からだ)に優しいアマニ油」です。価格は高くなってしまいますが、高価でも「世界一」を謳(うた)うことができる商品のブランド化を進めています。
人生を幸せに成功させること~企業国家論
―このように会社を成長させることができた理由を教えてください
大事なのは、経営理念とこれに基づいたブレない行動、人とのつながりだと考えています。創業以来、私が一貫して大切にしている経営理念、経営哲学があります。国は国民の幸せのために尽くし、国民は国の繁栄のために尽くす。そして、国と国民が一体となり世界の幸せと繁栄のために尽くすこと。企業を国に見立てれば、従業員は国民、国を支える産業は企業の事業、国家の繁栄は事業を支えてくれるお客さま、取引先は同盟国です。そして、国の最大の役割は国民を幸せにすることのはずですから、当社は従業員の幸せを一番に考えています。そのために、国の大臣に当たる幹部社員が行動し、国に当たる企業は、その実現のためにさまざまな投資をすることになります。しかし、従業員だけが幸せになればいいのではありません。企業の使命は、企業の存在を世界の幸せにつなげることです。このように企業の経営を国の運営になぞらえた「企業国家論」という経営学を考えました。その当時は笑われることもありましたが、「企業は公器」だと考えて経営してきました。
地酒と焚(た)き火料理「とっぴんぱらりのぷ」(秋田市千秋久保田町)
―25年の間には苦労もあったと思います。
そうですね、いろいろありました。従業員にも「困っている人を見かけたら助ける」という当たり前のことができる人になりましょうと伝えていますが、例えば、大災害などの非常時には、自社だけが助かれば良いとの思いを持つようではいけないと考えて行動しました。東日本大震災の翌日には炊き出しを始めましたし、仙台市と東京銀座に開業した「復興支援酒場」の利益全額1,500万円は被災地に寄付しました。コロナ禍では、さまざまな対策を検討し、業界や医師会、行政などに対応を呼びかけて実行しました。また、同業他社の営業に配慮し、当社が営業する秋田の居酒屋などでは、あえてランチ営業を行いませんでした。一方で、従業員の雇用を守らなければなりませんので、極力、店舗の維持に努めました。秋田のため、国のために必要とされる企業でありたいとの理念を通してきたつもりです。もちろん、私も本当に苦しい思いをしましたが、多くの人に助けていただきました。
二拠点の理由~秋田の食文化を全国へ伝える
―東京にも拠点を設けていますね
2005(平成17)年、東京支社を開設しました。秋田を売り込むためには、さまざまな業界で人脈を広げられる首都圏に拠点を持つことは重要です。例えば、銀座の鉄板焼き店「五明(ごめい)」(東京都中央区)では、「秋田牛」などの食材を提供していますが、各界の著名人を含む国内外のお客さまに秋田の魅力を伝えることができています。現在、ニューヨークへの出店計画も進めています。2023月には、東京メトロ虎ノ門駅近くの「そば処 大吉田(おおよしだ)」(港区)をリニューアルし、羽後町のそばや秋田のおでん、鹿角の地酒を東京の皆さんに楽しんでもらっています。秋田の食材や文化など豊かな資源を広く売り込みたいと考えています。
秋田牛鉄板焼「銀座 五明」(東京都中央区)
―なぜ秋田にこだわるのでしょう
私と妻のふるさとだからです。これは理屈ではないですね。秋田は、東北6県の中でも特にインバウンド(外国人観光客)が少ないです。これだけの資源を持ちながら残念なことです。お世話になっている秋田県に経済活動を通じて恩返しをしたい思いがあります。―秋田では人口流出も大きな地域課題になっています
そうですね。でも、これをマイナスではなくプラスとして捉えると、「Aターン候補」がたくさんいると考えることもできます。また、全国に県人のネットワークを持っていると見ることもできます。秋田の酒蔵も減少傾向にありますが、2017(平成29)年、後継者のいなかった「かづの銘酒」(鹿角市)を子会社化しました。秋田で長く愛されている銘柄「千歳盛(ちとせざかり)」の製造を守ることができました。また、2018(平成30)年には、やはり後継者に困っていた羽後町の創業200年の老舗そば店の事業と権利を買い取り、JR秋田駅前に「弥助そば 秋田総本店」(千秋久保田町)を開業ました。特に東京にいると、「秋田の食文化は日本一」と言っていいのではないかと感じます。これらは先人が残してくれた大切な資源です。秋田の無限の可能性を生かしながら、当社も地元の課題に向き合っていければと考えています。
創業200年の老舗を継承した「弥助そば 秋田総本店」(秋田市千秋久保田町)
夢と物語のある企業へ
―これからの展望を教えてください
私は「自分が得ること」を考えるよりも、「人へ与えること」を考えられる人が幸せに成功するものと思います。なぜなら、そこには多くの仲間や支援者が集まるからです。そして、夢のある、物語のある企業が成長するものと考えています。社名の「ドリームリンク」には、一人一人の夢を多くの仲間で実現しようとの思いを込めています。当社には「100年計画」があります。夢を叶えるのは簡単なことではありませんが、国民である従業員、国を支えてくれるお客さまや取引先の皆さまと一緒に物語を積み重ねながら、たくさんの夢を叶えていきたいです。―ありがとうございました