復興支援酒場の寄付を実施し「今」思うこと。

平成24年11月27日

岩手県庁にて(H24年11月5日) 宮城県庁にて(H24年11月6日) 福島県庁にて(H24年11月5日)

 皆様のご支援を頂きながら運営して参りました復興支援酒場。2012年9月30日に一旦の区切りをつけ予定通り岩手県、宮城県、福島県の県庁へ寄付を行うことができました。寄付金は各県庁へ500万円ずつ。合計1,500万円の寄付をすることができました。これは我々の趣旨にご賛同下さり復興支援酒場を支えて下さった皆様のお蔭です。心より感謝申し上げます。ありがとうございます。そしてこの節目において現在考えていることを記しておきたいと思います。

 復興支援酒場に対しては様々なご意見がございました。「偽善的である」「売名行為である」「本当に寄付するのか」「利益を誤魔化しているのではないのか」などのご批判的なご意見もございました。しかし、多くは「頑張れ」という類の温かいご意見でございました。その様な励ましのお言葉にスタッフは本当に励まされました。スタッフへお言葉をかけて下さった方々へはこの場をお借りして重ねて感謝申し上げます。

 開店当初は赤字が続いたのでどうなるかと思っておりました。しかし全国からたくさんのお客様にいらして頂くこととなり利益も出せ、正直ホッとしております。1年間限定ということで立ち上げ、その期日が迫ってきた頃からあるご意見が寄せられるようになりました。それは「閉めないでくれ」「延期を考えて欲しい」という様なものでした。どんどん閉店予定日の9月30日が迫ってくる中、どうしようかと随分悩みました。結論として仙台駅前店は予定通り閉店。銀座店は2013年12月末日まで1年3か月の営業延長ということと致しました。閉店を惜しんで下さった方々へきちんとご説明も出来ておりませんでしたので、その理由についても触れたいと思います。

 本来、本当の復興とは被災地にある地場の店舗が潤うことだと思います。復興支援酒場は多くのマスコミに報道頂くことができました。伴って「TVを見た」というお客様も大勢いらして下さいました。しかしある時から、これは隣近所の店にとっては迷惑な事ではないのかと考える様になりました。復興という旗印を掲げ、マスコミで扱われ、知名度が上がる。それをご覧になった方々がどうせ飲むなら復興支援酒場でとおっしゃってお店へいらして下さる。近隣の同業者からみればアンフェアな環境ではないかと思うようになったのです。それが被災地にある仙台店を予定通り閉店した理由でございます。

 その一方で震災から1年半が過ぎ、人々の記憶から震災のむごさが薄れてきているように感じておりました。被災地はまだまだ苦しんでいるのに時間が経つにつれて忘れられていくような空気を感じ、たまらないもどかしさを抱いておりました。そんな中、閉店を惜しむ声は大変ありがたく心に突き刺さるものがございました。そして復興支援酒場が存在していることの意義を強く思うようになりました。お店でのお客様同志の会話は震災時の話しや復興についての議論が交わされたりしております。仮にお店へいらして頂かなくても復興支援酒場の看板の前を通るだけでも震災を思い出して頂けると思いました。大きな意義があると思います。だから銀座店は残そうと思いました。日本の中心である銀座に復興支援酒場の提灯の明かりが灯っていることの意義を信じて残すことと致しました。

 復興支援酒場という取り組みをしてみて、今思うことは「復興支援とは継続である」と言うことです。震災直後は全国で様々な活動が起こりました。繰り返しになりますが残念ながら少しずつあの時日本国中にあった復興に対するエネルギーが衰えてきているように感じております。「復興支援とは継続である」という信念の下、ドリームリンクの様々な活動が単発のイベントで終わる事なく、これからも自分たちにできることを被災地にある東北の企業として継続して参りたいと思っております。機会がございましたら是非ともお誘い合わせのうえ、延期が決まりました復興支援酒場銀座店へいらして頂ければと願っております。

株式会社ドリームリンク
代表取締役 村上雅彦

仙台店の閉店セレモニーにて口上を述べる様子 仙台店の閉店セレモニーにて感謝の意を表す
1年間の営業が終了した仙台店 仙台店の最終日の営業が終了し暖簾を下げる様子
銀座店の店内(カウンター席) 銀座店の店内(座敷席)

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