被災地への新しい取り組み
平成24年3月24日
株式会社ドリームリンク
代表取締役 村上雅彦
震災から1年が経ちました。被災地を回っていて感じる事が2つあります。1つ目は、復興が私たちのイメージほど進んでいないということです。行政も働いている方々も一生懸命です。それだけに彼らの方がもどかしさを感じているのだと思います。この位時間が経ったのだからこの程度まで進んでいるだろうという根拠のない勝手なイメージとの比較はしてはいけないのかもしれません。
2つ目は、夜の街が寂しいということです。津波のあった地域では建物が未だに、そのまま残っています。建物の枠はあるのですが中は空っぽ。当然、誰も住んでないので電気も灯りません。昼は感じなかった事なのですが、夜になるとその街は光が少ない静まり返ったとても寂しい街となります。
実は、この2つ目の問題は私たちがお手伝いできると思い支援の方法を考えて参りました。私たちは復興には人々が集えて酒を酌み交わせる場が必要だと考えております。仲間同士で集まり、または復興を通じて知り合った同志で集まる。辛い事、悲しい事、楽しい事、嬉しい事、様々な思いを誰かに語り、またそれを聞く。
酒場には不思議な力があると信じております。酒場にはが涙あり、笑いがあります。語ることにより流せる苦労もあるはずです。語ることにより湧き出る力もあるはずです。戦後の酒場がそうであった通り、人々が集い、酒を酌み交わしながら、泣き笑う場所を街に造らないといけない。その様な思いが暗いひっそりとした街を見ていて湧いてきました。
「被災地に酒場を作ろう」その思いを持って活動を開始しました。先日、いわき市と釜石市に店をそれぞれ1軒造りました。両方の店に語り合えるようなカウンターを配しました。少し広い釜石の店は多くの人が一同に集えるように宴会が出来る座敷を作りました。また静かに過ごされたい方々に為に仕切られた席も作りました。地元のお酒を置き、温かい食べ物を中心としたメニューを作りました。街にひとつ灯りがポツンと増えました。お客様の笑顔を見ていると「本当に造ってよかった」と思います。
私たちはこの店をいずれ地元の方々に譲っていこうと思っております。街の人々と話しをしていると「津波で店を失った・・・。」という様な方々にたくさん会いました。彼らは店を持ちたくても持てないでおります。また仮に、この環境で手持ち資金や借金をして店を作ったとしても万が一失敗をしてしまったら二重の苦難となってしまいます。
そこで、私たちがそのリスクを背負う事を考えました。私たちがお店を作る。繁盛店にする。利益が安定する。この時点で失敗のリスクはかなり減ります。そのお店を地元の金融機関などと相談しながらリスクを更に排除しながら意欲のある方々へ譲っていく。この運動を進めて行こうと計画しております。
震災で都市計画がままならない中、物件を見つけることは大変でした。枠が残っている建物などは計画が決まるまで手を加えてはいけないという様な環境だったりしております。「ここに酒場の光りが灯ればな・・・。」という思いは中々実っていきませんでしたが、諦めずに探し回りました。今後は一関、北上、釜石、大船渡、石巻、古川、仙台、福島、郡山などにこの目的のお店を作れそうです。場所によっては建物がなくなっているので新しく建物を建てなければならない場所もあります。現在1件1件詳細を詰めております。石巻で被災されて郡山へ避難されているという元飲食店のオーナーもおりました。郡山を気にいっておられ「ここに定住したい。」と話されておりました。また故郷から離れたくないという事で地元釜石にできた屋台村で頑張っておられるオナーもいらっしゃいました。「いつか自分の少し大きなお店を持ちたい」とお話しをされておりました。私たちの活動がその様な方々への力になればと願います。
戦後の焼け野原に建ったバラツク小屋には人々が集まり、温かい食べ物や酒が並びました。人が集まれば活気がでます。元気が出ます。暗い夜の街に少しでも多くの灯りを灯していけたらとの信念の下、この活動をしていきたいと思っております。